歌謡曲好きの間ではもちろん、テレビやラジオでも独特の存在感を放っている「タブレット純」さん。
ユーモアのあるトークと、ちょっと切なくて懐かしい歌声で、幅広い世代に愛されていますよね。
そんな彼がどんな人なのか気になる方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、タブレット純さんの 身長・年齢・本名などのプロフィール を整理しつつ、
彼の人生を大きく変えた マヒナスターズ時代 についてもご紹介します。
昔からのファンの方も、最近知った方も楽しめるようにまとめましたので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

タブレット純さんは、唯一無二の歌声とキャラ!だと思います。
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タブレット純の基本プロフィール:身長・年齢・本名ほか
まずは、タブレット純さんがどんな人なのか、基本的なプロフィールから見ていきましょう。
音楽や芸能活動に入る前の“素顔”を知っておくと、これからの話もより楽しめると思います。
生年月日・年齢・出身地
タブレット純さんは 1974年8月31日生まれ。
今年で51歳を迎えるんですね。
年齢を知ると「えっ、そんなに?」と驚く方も多いのではないでしょうか。
若々しい雰囲気と独特の存在感から、実年齢より少し下に見える印象もあります。
出身は神奈川県の相模原市(以前は津久井町)で、自然豊かな土地で育ったようです。
血液型はA型、星座は乙女座とのこと。
几帳面さや真面目さが垣間見えるようなところは、こうしたプロフィールからもうかがえますね。
身長・体格
気になる身長は 168センチ。
一般的な日本人男性の平均とほぼ同じくらいで、舞台やテレビで見る姿も“親近感のあるシルエット”と言えるでしょう。
一部のプロフィールサイトでは「165センチ」と表記されていることもありますが、
公式に近い情報では168センチとされているので、こちらを信じるのが正確そうです。
ちなみに体重は公表されていないようで、ファンの想像におまかせ…といったところですね。
本名・芸名・名前の由来など
本名は 橋本康之(はしもと やすゆき) さん。
芸名の「タブレット純」はもちろん本名ではありません。
由来についてははっきりした情報が見つからなかったのですが、
“タブレット”という言葉には「記録媒体」や「板状のもの」などの意味があり、
ちょっとユニークで印象的ですよね。
ちなみに活動初期には別の名前を使っていたこともあるそうですが、
現在は完全に「タブレット純」として親しまれています。
名前だけでも人を惹きつける力があって、初めて聞いた人でもすぐ覚えてしまうのが魅力です。

性格やちょっとした一面
プロフィールを深掘りすると、性格や生き方にもユニークな部分が見えてきます。
たとえば恋愛観については「男女どちらでもOK」と語っている場面もあり、そのオープンなスタンスもファンの間で話題になっています。
人間的な幅の広さというか、肩の力を抜いて自分を表現できるところが、彼の魅力のひとつだと思います。
8/31は、タブレット純さんのお誕生日。日本の歌手、お笑いタレント。和田弘とマヒナスターズで活躍後、歌ネタや歌まねを持ち芸に、自身の音楽活動も。2024年にシングル『母よ』をリリース。書籍も多数発表。性的マイノリティーの悩みなどを抱えていた過去について明らかに。https://t.co/bkiKGUMwPq pic.twitter.com/koVyz2Wh3V
— レインボーアイル (RAINBOW AISLE) (@rainbowaisle) August 31, 2025
青年期のエピソード
ここで少しだけ、活動前の背景にも触れておきましょう。
タブレット純さんは幼いころから AMラジオ に夢中で、古い歌謡曲をよく聴いていたそうです。
学生時代には中古レコードを集めるのが趣味で、歌謡曲への情熱はすでにこの頃から始まっていたのだとか。
高校を卒業してからは古本屋や介護の仕事を経験し、音楽の世界に飛び込むのはもっと後。
27歳の時に大きな転機が訪れるのですが、そのお話は次の見出しで詳しくご紹介しますね。
わわわ😊
— A sa (@X2nqGHnGva39930) September 29, 2025
タブレット純さんに反応してしまった✨
数年前に、タブレット純さんが『よろしく哀愁』を歌ってるのをテレビで観て、この人の生歌聴いてみたいなぁ♪って思っていました😊
ちょっと…シルエット志磨さんっぽかった記憶が…😅髪型だけかな😅😅
プロフィールを調べていくと、タブレット純さんは「歌の世界に運命的に導かれた人」なんだなと感じます。
幼いころのラジオやレコードへの愛情が、のちに人生を大きく変える出会いにつながるなんて、まるでドラマのようですよね。
また、本人の雰囲気や言動からは、真面目さの中にユーモアと自由さが同居していて、
“型にはまらない人柄”が伝わってきます。
こうした人間味あふれる部分が、多くのファンを惹きつけているのではないでしょうか。
タブレット純のマヒナスターズ時代、夢が叶った瞬間とその後
プロフィールの部分では触れませんでしたが、
タブレット純さんの人生を大きく動かしたのがマヒナスターズ時代です。
子どものころから憧れていたグループに実際に入るなんて、まさにドラマのような出来事ですよね。
ここでは、その始まりからソロに転じるまでの歩みを追っていきましょう。
幼い頃の憧れが現実に
純さんがマヒナスターズを知ったのは、小学5年生の頃。
AMラジオから流れてきた「泣きぼくろ」という曲に心を奪われたのがきっかけでした。
卒業文集には「好きな芸能人:マヒナスターズ」と書くほど夢中だったそうです。
その後、高校を卒業してからは古本屋や介護の仕事を経験し、音楽とは距離のある生活を送っていた時期もありました。
ところが27歳の時、カラオケ教室に関わったことがきっかけで「歌ってみないか」と声をかけられ、そこから急展開。
なんと憧れのマヒナスターズに加入することになったのです。
最初は「そんなことって本当にあるの?」と思うほどの流れだったそうで、
ご本人も「夢が突然叶った」と驚きを隠せなかったと語っています。
田渕純としてステージへ
マヒナスターズに加わったとき、純さんは 「田渕純」 という名前で活動していました。
2001年ごろからの加入で、すぐにステージやレコーディングに参加する忙しい日々が始まります。
とはいえ、最初からすべてが順調だったわけではありません。
自分に務まるのか、不安を抱えながらのスタートだったそうです。
でも、もともとマヒナスターズの曲をほとんど暗記していた純さんにとって、歌いこなすこと自体は決して難しくなかったとも言われています。
まさに “熱心なファンだからこそできた加入” だったわけですね。
【あの日のラテ欄】昭和62年5月29日(金)
— 萬象アカネ (@bansho_akane) May 28, 2025
この年レコードデビュー30周年の〈マヒナスターズ〉。昭和28年、バッキー白片の〈アロハ・ハワイアンズ〉が内紛により分裂して結成、ムードコーラスで一時代を築く。平成2年にも内紛でメンバーが離脱、その補充メンバーには田渕純(タブレット純)がいた。 pic.twitter.com/sOzExsdlN7
師匠との出会いと別れ
加入に際しては、リーダーの和田弘さんに直接声をかけてもらったというエピソードも残っています。
「歌ってみて」と求められ、その場でメンバー入りが決まったというのですから驚きです。
ファンからすれば憧れの人と一緒に歌うどころか仲間になるなんて、こんなに幸せなことはありませんよね。
しかし、その後まもなく悲しい出来事が訪れます。
和田弘さんが逝去され、グループは存続が難しい状況に。
純さんも大きな喪失感の中で、次の道を考えざるを得ませんでした。
ギターのネックが逆反りするんですよ!
— しょーまさ (@g_o092) September 25, 2025
最近タブレット純にハマってます。
元マヒナスターズです。😆 pic.twitter.com/m5JI1i5jQH
ソロ活動への転機
マヒナスターズでの経験を胸に、純さんはその後ソロ活動へと進んでいきます。
2004年頃からは“ムード歌謡漫談”という独自のスタイルを確立。
歌謡曲を愛する気持ちにトークを組み合わせ、寄席やライブで観客を楽しませるようになりました。
その道のりは決して楽ではなく、スナックで歌ったり、昼間からカラオケを渡り歩いたりと、苦労も多かったといいます。
でも、マヒナスターズで夢をつかんだ経験が、ソロの彼を支える大きな力になったことは間違いありません。
番組の放送時間増えたからタブレット純のコーナーも30分くらいに伸ばしてお願い。長ーーーーーいのを。
— 浦和うなお (@VVcqv2FQAV16m5s) September 29, 2025
#ゴールデンラジオ
苦労があったからこそ今の純さんがいる
こうして振り返ると、マヒナスターズ時代は純さんにとって夢の入り口であり、同時に試練の始まりでもあったのだと思います。
憧れのグループで歌えた喜び、師匠との出会いと別れ、そして自分のスタイルを模索する日々…。
そのひとつひとつが積み重なって、今の“タブレット純”という個性豊かなアーティストが生まれたんですね。
だからこそ彼の歌やトークには、ちょっと切なくて温かい深みがあるのだと感じます。
奥さんの推しのタブレット純さんは、ネタか素かわからないドタバタと完璧すぎるパフォーマンス。
— catpower (@nyankotan5) September 29, 2025
カバーアルバムがリリースされるらしいけれど自作曲も良いのでぜひオリジナルアルバムを!#パンと音楽とアンティーク #タブレット純

最後に
タブレット純さんは、神奈川で生まれ育ち、歌謡曲への深い愛情を持ちながら成長し、27歳のときに憧れのマヒナスターズに加入するという劇的な転機を迎えました。
その後、ソロ活動へと歩みを進め、自分らしいスタイルで歌とトークを届け続けています。
プロフィールを知ると、数字や事実の裏にある人柄や物語が見えてきますよね。
憧れを実現し、苦労を重ねながらも自分の道を作り上げてきた純さんだからこそ、今の温かくて味わい深い表現があるのだと感じます。
これからの活動でも、また新しい一面を見せてくれるのが楽しみですね。
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